日本のパワーリフティング界に貢献することが競技を続けるモチベーションに
長年にわたり、 選手、大会運営、そして審判とパワーリフティング界を多岐に渡って世界的に活躍されておられます物江さんに、精力的に活動するモチベーションについてお聞きした。
Q:物江さんは長年にわたり、選手、大会運営、そして審判と多岐に渡ってパワーリフティング界で活躍されておられます。特に近年では国際審判として海外に行かれることも多いですよね。パワーリフティングと関わるようになったきっかけを教えていただけますか。
物江:1983年の10月から減量と、当時かなりやり込んでいたスキーのトレーニングという事で、勤めていた会社から200mの距離の千代田体育館・トレーニングルームでウエイトトレーニングを開始しました。下半身のトレーニングをメインにするつもりが、ベンチプレスに嵌りました。40㎏から開始して、100㎏を超えるまで2年半の時間がかかりましたが、そこから150㎏を超えるまではさほどの停滞がなく、38歳の時に無謀にも第一回日本ベンチプレス選手権大会にエントリーしたのが、公式戦に関わるきっかけでした(;^_^A
国際審判としては、お陰様でIPF技術委員長・ヨハン・ハニー・スミス氏の覚えが良く、国際大会で主審に数多く指名されています。
Q:長い間パワーリフティング界でエネルギッシュに活動される源はどこにあるのでしょうか。
物江:仕事では、人間関係など余計な要素で、成果が出ないという事もありますが、ウエイトトレーニングは運動・休養・栄養のバランスさえ正しければ、何歳から始めても進歩の階段を上って行けることが魅力で嵌りました。
国際大会は2006年マイアミでの世界マスターズBP大会に出場したのが最初でしたが、三試技とも155㎏を赤2:白1の判定で失敗&失格したのが悔しくて、リベンジするまでやめられないという気になりました。
2011年に国際審判を取得してからは、国際大会に選手&審判として参加する事によって、日本のパワーリフティング界に微力ながら貢献できているという自負も生まれ、長続きしたのだと思います。
Q:6/9東京ベンチプレス選手権大会は「ゴールドジム東陽町スーパーセンター体育館」にて開催されます。ここは2年前まで「YMCA」として運営されており、現在はゴールドジムが運営している体育館ですね。この場所にはなじみがおありと聞きましたが?
物江:2003年息子が高校卒業時に、YMCAの専門学校受験を考えていたため、受験の説明会で
東陽町の施設に伺いました。とても素晴らしいスポーツ施設であるという印象が強かったことを記憶しています。
(結果的に息子はYMCAを受験せず、他の専門学校に進学しました)
物江 毅(ものえ たけし)
1952年生まれ
試合公式記録
ベンチプレッサーのため、SQとDLの公式記録は存在しません(;^_^A
・ベンチプレス :
75㎏級 180㎏ 2002年春季東京都BP大会にて
当時はカレンダーイヤーという概念がなく49歳8ヵ月での自己新記録、
現在ならM2として扱われますがM1クラスでの優勝でした。
過去のタイトル:
2013年世界マスターズBP大会74㎏級M3 優勝
2014年世界マスターズBP大会74㎏級M3 優勝
過去の経歴〔趣味、職歴等〕:
31歳で始めたBP、36年間続いています。現在故障中ですが、諦めずに回復を目指して、世界BP大会であと3勝して生涯5勝とする事が目標です。
趣味は多々あります。カメラ、ギター弾き語り、会員制リゾートホテル巡り(月一回程度の頻度で訪れています)、料理などです。これらに関しては、Facebookタイムラインに写真等を頻繁にUPしています。パワーリフティングに関わり、頻度が落ちていたスキーもこれからは回数を増やしていきたいと思っています。
インタビュアー&構成:樹田 弁太